私がTwitterアカウントを削除する理由

ツイッター内で呟いたように、私は今シーズン終了をもって、サッカー中心に使ってきた「hardworkers2011」アカウントを削除することに決めました。

かなりの反響をいただき、自分でも驚いています。と同時に、「反響をいただいている」なんて言っている自分に対して、うまく言葉にはできないけど、嫌悪感が充満してきていたのも事実です。

ここでは、理由も含めて、少し自分の気持ちを整理したいと思い、筆をとります。

 

理由その1:実社会とparallel worldの境界線が薄くなってきた

 

私がツイッターを始めたのは、2009年の秋くらいだったと思います。

当日はちょうどツイッターが日本でも流行り始めたことと、当時大学生の我々にとって、SNSの中心はmixiでしたが、私はmixiに嫌気が差していたこともあり、軽い気持ちで始めました。

当時始めた人なら共感していただけると思いますが、広瀬香美をとりあえずフォローしていました。(笑)

そこから約8年、まさにツイッターは第二の社会でした。parallel worldというか、実社会からの逃避先であり、実社会で普段発することができない意見や感情、自尊心などを閉じ込めることなく、吐き出すことができる世界でした。

人付き合いがあまり上手ではなく、コミュニケーションを自ら進んでとることが苦手な私にとっては、ツイッターこそが本当の自分の世界だなんて思っていた時期もありました。

だからこそ、私は実社会で、ツイッターで知り合った方々とお会いするのを意識的に避けていました。今もそうです。

自分にとってツイッターは実社会ではないので、real worldと一線を画す必要があるからです。

中には、実際にお会いして、コミュニティを形成して、友人になっていく方もいらっしゃるでしょう。グランパスで言えば、そこでできたコミュニティで一緒に観戦をしたり、その後食事をしたりなど、される方も多くいらっしゃるんじゃないかと思います。

それはそれで一つの形だし、そうして素敵な出会いが生まれていくことは素晴らしいことだと思いますが、私にとって、ツイッターはそういうものではありませんでした。

 

私自身、気をつけてきたつもりだったのですが、その境界線が、多くの人とやりとりをしていく中で次第に薄れていきました。

直接お会いさせていただいた方もちょこちょこいらっしゃいますし、それ自体は素晴らしい出会いだったと今でも思っています。今後、より深くプライベートでも付き合っていきたいと思わせる方もいらっしゃいますし、引き続き情報交換をしていきたいという方がほとんどです。

ただ、やっぱり自分には、常にそういう状況になっている、あるいはそういう付き合いは合いません。

既に私には、大切な友人や仲間、家族がたくさんいます。それは、ツイッターでではなく、実際に自分がこれまでフィジカルに生きてきた中で得た宝物です。それで十分なのです。

「会ったことがある」「頻繁にリプライをやりとりしたことがある」という実績があると、実社会での行動に、変なプレッシャーがのしかかるのです。

たまには、連れだけで、あるいは一人だけで観戦を楽しみたいこともあります。

が、それらの実績があると、「会わないといけないんじゃないか」「居ることを証明しないといけないんじゃないか」という強迫観念に襲われてしまうこともありました。

これに派生して、もう一つ。

実際にお会いしたり、話したり、頻繁にリプライをやりとりしたりしてしまうと、例えばその人が、明らかに自分とは違う発想や考えを発信していた時に、少々面倒くさい状況になってしまいます。

自分の中で、「考えが違うかも・・・?」と少しでも疑念を持ってしまったまま、表面的に繋がりを保つのって、大変ですよね。

そもそもツイッター上で議論するつもりがない私にとっては、スルーすればOKなのですが、たまに、知り合いと知り合いが(噛み合わない)議論していたり、醜いリプライの飛ばし合いをしている他のユーザーが目に入ると、すごくげんなりした気持ちになってしまいます。

せっかくの擬似社会なんだから、自分にとって気持ちのいい環境にしておきたい。議論なんてしたくない。それがだんだん難しくなってきました。

だって、フォロー外したら、なんか言われるじゃないですか。最近のツイッター社会って。「FF外から失礼します」なんて謎の挨拶が生まれる程度には。

 

もちろん正解はありませんし、自分の考え方が全員にとって正しいなんて思っていません。が、少し私は疲れてしまいました。

これが1つ目の理由です。

 

理由その2:サッカーが分からなくなってきた

自分は、一般の人に比べて、サッカーのことが多分詳しいと思います。

それなりに勉強をしてきましたし、現場に触れる機会も、多分これまでの人生で多かったと思うからです。

今でもJリーグはもちろんですが、海外リーグも暇があれば常に観ています。家に帰ればまずテレビをつけて、PS4を起動させてDAZNを流し、サッカーに関する書籍や文献を、少なくとも1日1回は検索して購入したり、PDFを読んだりしています。

これは学生時代からずっと続けてきたルーティンです。

このことは、real worldで触れ合ってきた人たちなら知っているし、わざわざ言い張ることでもない、本当にルーティンなのです。

だからこそ、一般人とは少し異なった視点でゲームを観ているのだろうし、それを備忘録、ただの自己満足としてつぶやき始めたら、私の視点に対する支持者が増えてきた感じでしょうか。

ツイッター開始当初から、サッカーについて自己満足でつぶやき続けてきた結果、今は当時に比べるとかなり多くの方から反応されたり、私よりも影響力のある方々にも反応されたりするように「なってしまいました」。

この状況は私にとって、非常に良くない方向に働きました。

やっぱり私も人間で、社会的な動物ですから、自分の意見や発信に対してポジティブな反応を多くされることは気持ちよくないはずがありません。

すると、私も人間です。調子に乗らないはずがありません。

そうして次第に自分を見失い、ただの擬似社会でご意見番になったかのような気持ちになってしまっていました。

そういう自分が本当に嫌いです。

 

自分は、他人に「いいね」をたくさんもらうためにサッカーを観ているのか?

 

自分にとって、サッカーとは何か?

 

を考えた時、結論は一つ。このアカウントを削除することでした。

 

また、現代は、多くの素人が自分の考えや分析を発信できる時代です。動画や図を用いて戦術を語る「ネット戦術家」が増えてきました。

そういう方々と触れ合うことで、よりサッカーが分からなくなってきました。

サッカーは、本当に切り取り方で見え方(答え・意見)が変わってくるスポーツです。なぜなら、攻守が一体だからです。

攻めている時に、守備を見出そうとしたら、見えてくるものはそりゃ違いますよね。

攻めている時、守備を意識したプレーをしている選手を、攻撃的な目線で見たら、それは違うだろ!という意見にもなりますよね。

意見が分かれるもう1つの理由としては、サッカーは11人対11人、1人1人の人生が反映されているからです。それら一つ一つを完璧に理解することは不可能です。

本当はあの選手をマークしたくて、そういう動きをした守備の選手を、自分が思っている「ゾーンディフェンス」に当てはめて考えたら、ちんぷんかんぷんな動きだ!と批判されてしまいますよね。

また、過去に足の速い選手にぶっちぎられて失点したり、自分がボールを持ちすぎたせいで奪われて負けたりなどの負の経験や、逆に1on1で違いを出して試合を決めた経験、左利きに対してこういう守備の仕方をしたら抑えられたなどの正の経験が、直感的なプレー選択に大きな影響を与えることはプレーヤーなら想像に難く無いでしょう。

サッカーは、その人その人の人生で得た教訓や背景が、プレーする側だけでなく、見る側にも如実に浮かび上がる、まさに嘘をつけないスポーツです。

だからこそ、多くの答えや意見、プレーモデル、意思、戦術、戦略があって然るべきだし、そもそもそれを批判することすら、私は間違っているんじゃないか?(明らかな怠慢プレーは除く)とも思うようになってきました。

 

つまり、自分はサッカーを分かった気でいた(というよりも、自分の中で、サッカーとはこういうスポーツだという概念が明確だった)のですが、それすらよく見えなくなってきました。

でも、周りのツイッターユーザーは、やはり批判をします。知識を披露します。互いの考えを尊重することもあれば、批判をしあうこともあります。

 

すると、こういう気持ちになります。

 

「サッカーを観ていても楽しくない!」

 

フットボールに正解なんてないことは、これまでの人生で、まさにreal worldで一番学んできたはずなのに!!

 

フットボールを題材に、多くの人間が分析や批判をできるようになってきたこの雰囲気は、まさに日本サッカーが成長している証だと思いますが、我々は戦術に対して向き合うようになったのと引き換えに、我々は、「サッカー」という競技に対する謙虚さを失ってしまっているんじゃないかと思うようになりました。

 

私は、本当にサッカーが好きだったあの頃の自分を取り戻すため、そして、自分にとって「サッカーとは何か」という命題に対して、自分なりの距離感で付き合っていくために、このアカウントを削除します。

 

私は、フットボールを、この国のサッカーを、グランパスというクラブをこれからも愛していきたいし、自分なりの距離感で死ぬまで付き合っていきます。

これらがこの世界に存在する限り、私は日本や世界のどこかでこれからも見守り続けています。

 

もし私がツイッターアカウントを削除することについて関心を持っていただいた方がいらっしゃるのであれば、どうか、あなたにとってサッカーとは何か?を再度問い直して見てください。

このブログが、そのきっかけになれば、なお嬉しいです。

 

最後に、私が敬愛するサッカー漫画「ファンタジスタ」で、ACミランプリマヴェーラの監督ヴァレンティノが言った言葉を残します。

 

 

フットボールは人生の縮図だ」