蘇生

早いもので2017年も終わりを迎えようとしています。

みなさん、色々あったでしょう。

私も色々ありましたよ。

いいこともあれば、悪いことも。

前に進めたと思えたこともあれば、後退してるような気も。

 

私は、昇格プレーオフについては、気持ちを表現するのをためらっていました。

名古屋グランパスにとって、今年は激動の1年だったでしょうし、その集大成となったあの死闘を、簡単に振り返ることは自分の心が許さなかったという気持ちもあります。

それだけ、あの試合は私にとって価値のある試合でした。

ただ、今回あの試合を現地で観戦し、感じたことに整理をつけることができました。

その気持ちを2度と忘れないよう、このブログは、年の瀬に、来年2018年12月24日の自分に対する備忘録として書きました。

以下は、そんな内容になっています。

 

 

 

 

多分これは私だけではなく、多くの日本人がそうだと思うのですが

元日に初詣に行きますよね。

そこで大体皆その年の抱負を心の中で語り、決意し、仏様や神様に宣言することと思います。書初めも同じような目的かもしれませんね。

中には、1年の目標を形に残したり、目標達成のためのスケジューリングをしたりする意欲的な人もいるでしょう。

 

何が言いたいかというと

果たして1月1日に胸に誓った、仏や神に宣言した目標をどれだけ達成していますか?(そもそも、そのための努力は、そこからの365日間絶え間無く続けることができましたか?)

 

私は毎年1月1日に思い知らされます。「全く何もしなかった1年だったな…」ということを。

私にとって、元日というのはその年の目標を定めたり、前を向くための1日ではなく、何もしてこなかった前年を悔やむ日になってしまっていました。

そして、そのことに気付きながらも、代わり映えのない1年、仕事に追われる1年、やりたいことよりもやるべきことに縛られる1年、自分の現在地を自分自身によって突きつけられるのです。

 

私たちは、大人になるにつれて、言い訳を身に纏うようになります

 

誰だって、こうありたいという想いはあるはず。ただ、そこに様々な言い訳を固めていき、自分自身を現状に満足させてしまう。

 

元日をきっかけにしている時点で、既にもう遅いということに中々気付けない。

 

私は1年、名古屋グランパスの選手たちに何を教わってきたのだろうか。

それは、現状に満足せず、常に危機感を持ち、在りたい自分と在るべき自分の狭間で、必死でもがこうとする姿じゃないか。

 

彼らも、私と同様に結果を求められる仕事ですが、その求められるプレッシャーは私の比ではないです。

自分の人生だけでなく、家族やチームスタッフ、チームメイトとその家族の人生を、ホームタウンの将来を懸けて、90分間で表現するという難しさは想像を絶します。

彼らは現状維持ではダメなのです。年齢や衰え、敵の成長に対して、相対的に上回らないといけない。そしてそれを結果で示さなければならない。

そのために、我々の知らないところで毎日血の滲むような努力と、胃に穴があきそうなプレッシャーと戦っているのです。

 

そんな彼らの「答え」をいつもスタジアムで、テレビの前でもらっているのにもかかわらず、自分はいつまで経っても1月1日、仏の前でいつもと変わらない後悔を胸に抱き、また同じような1年の最初の一歩を踏み出すの?

 

2018年を良い年にするためには、思い立った今(2017年12月24日)から変わらなければ遅い。

 

自分は今から行動を起こします。このブログを読んで、もし同じようなモヤモヤや悩みを抱いていらっしゃる方がもしいれば、一緒に行動を起こしませんか?

 

ベビーステップでも構わない。まず行動を起こしましょう。今。一緒に。

 

2017年12月3日、豊田スタジアムで彼らが私に見せてくれた、示してくれた、教えてくれたものを絶対に無駄にはしたくありません。

田口泰士選手の試合後の涙の意味を、自分はもっともっと考えないといけない。

今度は自分が彼らに恩を返す番です。

 

 

 

これが、私のJ1昇格プレーオフに対する感想です。

フットボールは、本当に色々なことを教えてくれる。プレーしていても、していなくても。

今の等身大の自分を示してくれるのです。

名古屋グランパスというチームと、フットボールというスポーツと出会えた価値を、自分自身が最大化していかないといけない。

そう私に強く思わせてくれました。あの試合は。

名古屋グランパスに恥ずかしくない自分になっているかどうか、来年の12月24日の自分が今から楽しみです。

 

 

「叶いもしない夢を見るのはもう、やめにすることにしたんだから。

今度はこの冴えない現実を、夢みたいに塗り替えれば良いさ。

何度でも、何度でも、僕は生まれ変わっていける。

そしていつか、捨ててきた夢の続きを。」