7年目の今日、あえて転載「3度目の3月11日を仙台で迎えて思うこと」

今日は3月11日ですね。あの日から7年経ちました。

あれから色々ありました。

名古屋グランパスの一ファンとして、そして奇しくも2011年から仙台に住むことになって今に至る一東北民として

改めて、4年前の今日、自分がある媒体に書いた記事を転載することで、

「まだ終わっていない」ということと、「乗り越えていかなければならない」ということを再確認したいと思います。

 



今週、東日本大震災からちょうど3年が経ちました。

あまり個人的にこの話題に触れることは避けていた所もあるんですけど、

自分の中で気持ちを整理しておきたいこともあり、今回はフットボールに絡めて更新します。お付き合いください。


2011年の3月11日、私は14時46分は清水の三保の松原にいました。

その日は熱海の温泉に泊まり、翌日仙台で行われるベガルタ仙台vs名古屋グランパスを観戦しに、

仙台に向かう旅程でした。

未曾有の大災害ということで、もちろんJリーグも中止になり、

私個人もこれ以上北上するのは無理だったので、

実家の岐阜に引き返しました。

もし仙台で泊まることになっていたら、震災の日が1日遅かったら…

といろいろたらればを考えるときりがありません。


で、その年の7月に、諸事情により、仙台に引っ越すことになりました。


個人的に運命めいたもの、宿命めいたものを感じました。


そこで出会ったのがベガルタ仙台でした。


もともと学生時代にユアスタにはグランパスの応援として訪れたことがありました。


テレビで観てても、現地に行っても、非常に熱いサポーターで、素晴らしいスタジアムの雰囲気だと感じていました。


仙台に住むようになって、自然とベガルタに触れる機会が増えて、


気がつけば毎試合ユアスタに足を運ぶようになっていました。


「東北の希望の星となる」


この合言葉を胸に、2011年は4位、2012年は2位と大躍進しました。


私が一番気にかけているクラブは、小さい頃から名古屋グランパスですし、それは今後も変わらないでしょう。


でも私は仙台にいる限り、そして仙台を離れても、


ベガルタ仙台をきっとずっと愛し続けるのだと思います。


いや、私が本当に愛しているのは、ベガルタ仙台ではなく、


ベガルタ仙台のサポーターの皆さんです。


仙台に実際に住んでいるからこそ、どれだけあの震災からここまで立ちなおすことが、


ハード的にも、ソフト的にも厳しいことだったのか。


実際に仙台でお世話になっている周りの方達が被災しているわけですからよく知っているつもりです。


そんな彼らが、ここまで前を向いて、懸命に今を生きている姿に私は何度勇気づけられたか。


マスコミは、「何万人が死んだ」とか、「何万人が行方不明」だとか、


数でものを語ります。


我々は幸いにも戦争を経験したことはありませんし、身近に紛争が起きてもいません。


死に対する気持ちの重みは、私個人も非常にぬるいものがありました。


でも、仙台に来て、「1つの死という悲劇が○万回起きている」という考え方に変わりました。


死ぬということが、生きるということがどれほど尊くて、儚いものなのか、


仙台に来たからこそ、学ぶことができました。


それと同時に、これまでいい加減に1日1日を過ごしてきたことをとても悔いるようになりました。



ユアテックスタジアム仙台は、生きる喜びに最も溢れたスタジアムだと思います。


2011年3月12日(土)の、ベガルタvsグランパスを楽しみに、


仕事に、学校に臨んでたにもかかわらず、観ることを許されなかった方たち。


そのゲームどころか、一生ベガルタの試合を観ることができなくなってしまった方たちの分まで、


目の前のベガルタの躍動を、1分1秒を心の奥底まで楽しんでやろう、味わってやろうという生きる尊さに溢れたスタジアムであり、サポーターなんだと思います。


私個人も、ベガルタのゲームを観たくても観られない多くの犠牲者の方々の分まで、


目の前の選手たちのプレーを焼き付け、


そもそもフットボールを楽しむこと、


ひいてはフットボールにかかわる1分1秒を大切にしようという気持ちで毎日過ごしています。


必ずベガルタのゲームを観る前には、祈りを捧げるようにしています。


今自分がこうして健康に、ベガルタ仙台と関われることは本当に幸せなことだと感じますし、


実際に仙台で被災されて、私の数万倍も辛い思いをされてきたベガルタサポーターの方々に対して、


今後も敬意を表していきたいとおもいます。


3月11日を迎えて、あの日のことを今一度日本全体が思いだして、風化させないことはとても大切なことですし、


今後も続けていかねばなりません。


でも本当に大切なのは、この気持ちを、例え4月11日でも、5月4日でもなんでもいいです。


いつでも各々の心の中に持ち続けていることこそ大切なのではないでしょうか。



私は、ユアテックスタジアム仙台に行くことで、この気持ちを思い出させることができ、


再確認することができます。


ベガルタ仙台の選手たち、そしてサポーターの方々には本当に多くの勇気をいただいています。


私は仙台に住んでいることを誇りに思いますし、


こうして彼らと関われていることを本当に幸せに思います。



明日のガンバ戦も、


フットボールが観られる喜び」を、ベガルタサポーターのみなさんと共有するため、


生きている価値を再確認するために、私はユアテックスタジアム仙台に向かいます。



ユアテックスタジアム仙台は、フットボールを愛する喜びに溢れた素晴らしい空間です。


これまでも、これからも。

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「全ての仲間にありがとう。故郷を取り戻すまで俺達は負けない!」

 

最後に、本震災で亡くなられた方々に対して、心からご冥福をお祈りいたします。

 

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