名古屋グランパスの選手は本当に「闘って」いないのか?
本日のJ1第14節アウェイ長崎戦の試合後のインタビューで、名古屋グランパスの風間八宏監督は次のようなコメントを残した。
集中力の欠如。前半後半の立ち上がり、自ら相手にゴールを与えてしまった。あとは、そのあと立て直すだけの闘う気持ち。気持ちとはどういうことかと言えば前に向かう姿勢ですね、テクニックを含めもっともっと闘わなければいけなかった。
確かに、選手の動きはお世辞にも良いとは言えなかった。
肝心なところで体を投げ出したり、相手の懐に入り込むような気迫、シュートへの意欲、単純なミスパス、ノープレッシャーでのボール扱いのミス、、、色々な点で物足りなく、不甲斐なく映ったのは確かだ。
長崎まで足を運んだサポーターからすれば、本当に辛い90分になったであろう。
しかしながら、果たして闘おうとしない選手なんて、本当にいるのか?という話である。
私はDAZNで観戦していたが、確かにパフォーマンスは奮わなかったかもしれない。でも、いずれの選手も表情は鬼気迫るものがあった。
今日の試合を迎えるまで11試合勝利がない状況で、誰がまた負けたいなどと思うか。
あのピッチに立っている選手たちは、我々アマチュア人の誰よりも勝利に飢えており、そして実際に勝利を掴んできた猛者の集まりなのだ。
選ばれた者だからこそ、国内最高峰のリーグにおいて、ピッチに立てている。
あの選手たちは、誰よりも負けず嫌いだ。じゃなければ、サッカーを生業には選「べ」ない。
それは自分がよく知っているつもりだ。
でも、パフォーマンスレベルは確かに低い。
一見「闘っていない」ように捉えられても仕方ないようなプレーを連発してしまう。
何故なのか。私は一つの仮説を立てた。
「監督(コーチングスタッフ)が、闘えるように導けていないから」
そもそも、この試合を迎えるにあたって、選手たちはかなりの疲労を抱えていたことは想像に難くない。
4月28日(土)対FC東京(@調布)
(中3日)
5月2日(水)対セレッソ大阪(@名古屋)
(中2日)
5月5日(土)対横浜F・マリノス(@豊田)
(中3日)
5月9日(水)対浦和レッズ(@浦和)
(中2日)
と、最近5試合だけ取り上げても、これだけの過密日程をこなしている。
全試合に出場している選手も少なくなかった。
体が疲れれば、頭も疲れる。
逆に頭ではこうしたい、こうすべきだとわかっていても、体が反応しなくなる。
ただ、これは他のチームも同様である。(他のチームと違って、ターンオーバーを敷くほどの選手層がないことも要因の一つだが、主題ではないので割愛する)
では、何故差がつくのか。
それは、他のチームは、疲労の影響を最小限に食い止めるメソッドを共有しているからだ。つまり、戦略・戦術が備わっている。
今日の長崎戦後の選手のコメントを一部抜粋する。
玉田圭司選手
攻撃に関しても守備に関しても、みんなが戸惑っていて。人任せというか、「こういくから、こうする」というのもまったくなかったし、味方が何をするのかも分かっていない状況でした。もちろん、選手は頑張っているし、「勝ちたい」という気持ちもあったんだけど、それを解決する方法を見出だせていなくて。一人ひとりが解決策を考えてやっていたから、チームとして機能していなかったです。
「いこう」とか「やろう、続けよう」と口で言うのは簡単です。それをやろうとはしているんだけど、どうやってボールを奪うのか、どうやって攻めるのかという部分が足りなかった印象です。
青木亮太選手
どうやって攻めようというのがなかなかなかったので、やっている中でもどうやって攻めていこうというのがあまり見えなかったです
今日の試合に関して、僕も含めて一人ひとりが球際だったり、目の前の相手と闘うという部分で劣っていた。相手の方が走って闘えていたと思います。そういう基本的なところですね。そこをもっとやらなければ、今の状況というものは変わってこないと思います。試合が終わったらこういうことを言えますけど、ピッチ内でどうにかしようと思ってやっていた中で、それがうまくできなかったことは悔しいで
身体が自分のイメージした動きを100%に近いレベルで表現できるコンディションであれば良いが、決して今日はそうではなかった。加えて、今日のスタジアムはあえて水が撒かれず、明らかにボールの走りは悪かった。
そういった、イメージと運動がリンクしない状況では、普段取り組んでいる個人技術や極めて少人数でのコンビネーションによる密集打開をすることは困難を極める。
したがって、相手より速く一歩目を踏み出したり、コンマ数秒速く反応するためには、相手のプレーと味方のプレーを「予測」し、準備をしなければならない。
その準備が、リンクの遅れを取り戻し、結果的に相対的なデュエルに勝たせてくれるのだ。
つまり、今日であれば、長崎の攻守における狙いや、明らかなボールルート、強み、弱み、キープレーヤーを明らかにし、具体的なメソッドを付加した形で選手に中2日で落とし込む必要があった。身体を休ませないといけないからこそ、頭を準備させないといけなかった。
こういう時だからこそ、風間監督はじめコーチングスタッフは、「戦略・戦術」をしっかりと落とし込まないといけなかったのだ。「技術が足りない」「ミスが多い」「闘えていなかった」等とは、絶対に言ってはいけないのである。なぜなら、選手に闘えていないようなプレーをさせてしまった原因は、あなたたちにもあるからである。
非公開トレーニングで何をしているのか知らないが、少なくとも選手たちのコメントから、事前にメソッドを共有されていたとは、とてもじゃないが思えない。
そもそも、戦略がないから、闘い方がわからないのだ。
プレー選択に悩みと不安があるから、一歩目を強く、速く踏み出せない。
長谷川選手や、和泉竜司選手も、試合後、「相手よりも闘う気持ちや、球際の厳しさが足りなかった」とコメントしている。しかし、「闘えていなかった」「相手よりも球際の厳しさが足りなかった」は、私からすれば結果論である。上述したように、闘いたくない選手なんていないからである。
相手の動きを予測したり、その上で味方のサポートやプレー選択、ポジションを共有できていれば、自然と、「闘っている」ような、「球際に厳しい」ような、そんなプレーをすることができる(しているように見える)
準備とそれによる信頼によって、相手より少しでも速く、強く一歩目を踏み出す勇気を与えることができるのだ。
先日のルヴァンカップ浦和戦は、失点するまでの31分間は今シーズンのベストパフォーマンスだった。それは、各々がやるべき仕事を理解し、味方の仕事も理解した上で、相手よりも速く踏み出し、相手よりも速く仕掛け続けたからだと考えている。
それを可能にしたのは、ピッチ内の監督(小林裕紀選手と玉田選手)だと観ていて感じた。彼らは常に声を出し、周りの若い選手を導いていた。
だから、深堀隼平選手も、榎本大輝選手も、内田健太選手も、八反田康平選手も、プレーに迷いが見られなかった。
今、名古屋グランパスに最も必要な薬は「勇気」と「信頼」だ。
そしてそれらの薬は、風間監督はじめ、コーチングスタッフが予め与えるべきものだ。
それを与えることなく、90分間の中で言語も異なり、そして大歓声でまるで聞こえない状況で選手たちにプレー選択、予測を一任し、それで「闘っていなかった」と言うのは、あまりにも責任転嫁ではなかろうか。
私は昨年から始まった風間監督を中心とする新しいプロジェクトに対して、極めて中立な立場で見守ってきたが、今日の指揮官のこの発言は正直我慢の限界だ。
もし次節(ホームでの柏レイソル戦)で同様の悲劇が起きた場合、解任もやむなしと思う。できればそういう結果は見たくない。
ただただ思うのは、このフットボールスタイルや、ゲームに対するアプローチを続けるのであれば、あまりにも「選手がかわいそう」だ。勝てる、勝てないの問題ではない。この状況を引き起こしたのは、勿論選手の未熟さもあるが、決してそれだけではないと思うからだ。
最後に、標題に対する私の回答を述べる。
名古屋グランパスの選手は闘っていないのではない。闘えないのだ。きっと。